STORY


第一部:太陽旗

台湾中部の山岳地帯に住む誇り高き狩猟民族・セデック族。その一集落を統べる頭目の息子モーナ・ルダオは村の内外に勇名をとどろかせていた。1895年、日清戦争で清が敗れると、彼らの暮らす山奥にも日本の統治が広がり、平穏な生活は奪われていく。それから35年、頭目となったモーナは依然として日々を耐え抜いていた。そんな中、日本人警察官とセデック族の一人が衝突したことをきっかけに、長らく押さえ込まれてきた住民たちが立ち上がり…。

第二部:虹の橋

連合運動会が開かれていた霧社公学校を襲撃したセデックの決起部隊の手によって、戦う術を持たない多くの日本人は女子供の区別なく命を奪われた。日本軍は直ちに鎮圧を開始。山岳地帯の地の利を活かして戦うセデックの前に苦戦を強いられるが、圧倒的な武力を誇る日本軍と警察を前に、セデックの戦士たちは一人また一人と命を落としていく。男たちが絶望的な戦いに挑むなか、セデックの女たちもまた選択を迫られ、それぞれが信じる道を選ぶことに。決着のときは近づいていた…。

INTRODUCTION


1930年、日本統治下の台湾で起きた壮絶な事件を渾身の映画化

1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間に及んだ台湾の日本統治時代。統治下の台湾では日本人化運動が推し進められ、新しい文化文明がもたらされる一方、原住民族独自の文化や習慣がないがしろにされたり、一部では過酷な労働と服従を強いられるようになっていた。そんな中1930年、日本人警察官との間で起こった小さないざこざが原因で発生した原住民による武装蜂起、日本統治時代後期の最大規模の抗日暴動が「霧社事件」である。
映画『セデック・バレ』は、“文化”と“信仰”の衝突という視点で「霧社事件」を描いた、4時間36分に及ぶ歴史超大作である。第一部『太陽旗』では日本の統治下で苦しい生活を強いられてきたセデックの人々が、ある事件をきっかけに部族の誇りをかけ、武装蜂起するまでが描かれる。そして、セデック族のあいだで「死後に渡る」と信じられてきた虹の橋を象徴とする第二部『虹の橋』では、蜂起したセデック族に対する日本の警察および日本軍の報復、セデック族の人々を襲う悲劇と多大な犠牲が、憎しみや恨み、家族愛、苦悩、葛藤などさまざまな感情の交錯をまじえながら、生々しく描かれる。

構想10余年、台湾の新鋭ウェイ・ダーション監督(『海角七号/君想う、国境の南』)のもとに
安藤政信、ビビアン・スーら国境を超えたキャストが集結

監督は長編デビュー作『海角七号/君想う、国境の南』で台湾映画史上歴代第1位の大ヒットを記録したウェイ・ダーション。「霧社事件」を扱った漫画を読み、血がたぎるような想いにかられ映画化を決意したというウェイ監督は1999年には本作の脚本を書き上げていた。その後、5分ほどのトレーラーを作って徐々に資金を集めていき、最終的に『海角七号~』をヒットさせることで自らの実力を証明し出資を募った。そして、国際的映画監督ジョン・ウーがプロデューサーに加わり、日本映画美術界を代表する種田陽平がプロダクションデザインを担当。徹底した歴史考証に基づき、壮大なスケールで霧社の村を見事に再現した。
セデック族のキャストには原住民を起用。頭目のモーナ・ルダオの晩年を演じたリン・チンタイの本職は(現在も)牧師であり、若きモーナ・ルダオを演じたダーチンは本作への出演で俳優としてのスタートを切った。原住民キャスト以外の脇を固めるのは、多くの海外映画に出演する国際的俳優・安藤政信、俳優・監督として映画界でも活躍する人気芸人・木村祐一、母親が原住民族出身の台湾人女優ビビアン・スー。さらに、『海角七号~』に出演した田中千絵、マー・ルーロン、ジェン・ジーウェイなどが特別出演。構想から10年以上、アジアの映画人が結集し、エンタテインメントを凌駕する一大巨編が誕生した。

かつて誰も味わったことのない獰猛な映画体験
価値観が乱される4時間半!!第一部&第二部、一挙公開!!


本作はほぼ無名の俳優たちをメインの役柄に起用したにも関わらず台湾でメガヒットを記録し、第48回台湾金馬奨にて最多11部門にノミネート、見事グランプリを受賞。観客賞にも選ばれたほか、助演男優賞、オリジナル音楽賞、音響効果賞、最優秀台湾映画人賞を獲得した。2011年ヴェネチア国際映画祭のワールドプレミア上映では世界の映画人たちから注目を集め、アカデミー外国語映画賞台湾代表作品にも選出された。さらに、ここ日本でも2012年3月に開催された第7回大阪アジアン映画祭では、4時間36分の完全版(台湾ドメスティックバージョン)での上映が大きな話題となり、圧倒的な支持を得て観客賞に輝いた。ウェイ監督からの強い希望を受け、劇場公開でも完全版での上映が決定した。
本作のタイトル『セデック・バレ』とは“真の人”を意味するセデック語。これは死を覚悟しながら、それぞれが信じるもののため戦った者たちの命の尊厳を問う物語である。そのすさまじい生き様は現代に生きる我々に何を問いかけるのか。

霧社事件とは?

1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による日本統治時代後期における最大規模の抗日暴動事件。霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(集落)の男たち300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校で行われていた小学校・公学校・蕃童教育所の連合運動会を襲撃。日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。現地の警察には霧社セデック族の警察官が2名おり、彼らは事件発生後にそれぞれ自殺。その後の日本軍の反攻により、蜂起した6社の約1000人が死亡し、生存者約550人は投降した。


「台湾原住民」とは、17世紀頃の福建人移住前から居住していた、台湾の先住民族の正式な呼称。中国語で「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、この表記は台湾では用いられていない。現在では憲法で「原住民族」と規定されている。

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