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山本方子 (やまもと まさこ)

1921年10月、敬虔なプロテスタントだった両親のもと神戸で生まれる。
父親の仕事のため九州・門司での生活を経て東京へ。高等女学校卒業後、文化学院美術部に進学し、イ・ジュンソプと出会う。1945年3月、博多港から釜山に渡り、ジュンソプの故郷・現在の北朝鮮、元山(ウォンサン)で結婚。第二次世界大戦終了後、三児をもうけたが、一人目の子は病気で亡くした。1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、12月、家族四人で釜山へ、のちに済州島に避難した。生活は困窮を極め、子どもと方子が体調を崩し、帰国を決断した。1952年7月、二人の息子を連れて帰国。家族そろって暮らすことを目指したが、願いがかなうことなく1956年9月、ジュンソプ死去の電報を受け取った。洋裁の技術を活かし、息子たちを女手ひとつで育てた。現在、92歳。東京・世田谷区在住。

李仲燮 (イ・ジュンソプ)

1916年9月、日本統治下の朝鮮半島で富農の家庭の次男として生まれる。
4歳のときに父親を亡くし、7歳になると母親の実家のある平壌に移り住む。幼い頃から絵を描きはじめ、中学時代は「牛」を描くことに没頭した。日本の旧制中学にあたる五山高等普通学校を卒業後、1936年20歳のときに、家族の反対を押しきって東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。そして文化学院美術部に移り、山本方子と出会う。1943年、ソウルで開かれた美術展のために帰国するが、戦況が悪化し日本に戻れなくなる。故郷の元山に帰ったジュンソプは、方子を呼び寄せて結婚し子どもをもうける。朝鮮戦争による戦火を避けて家族で釜山、済州島へ移り住むも妻子の健康上の問題から、1952年36歳のときに3人を日本へ送還。離れ離れになった家族宛に自筆絵葉書や絵を添えた手紙を何通も送る。翌年、特別滞在許可を得て1週間足らず日本に滞在するが、これが家族との最後の別れとなる。帰国後、創作活動に没頭し、1955年アジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館に作品が所蔵される。しかし満を持して開催した個展は、銀紙画を春画とみなした当局から撤去命令がでる。この頃から栄養不良や拒食症等で衰弱していき、1956年9月6日、誰にも看取られずに息を引き取った。39歳だった。韓国の高度成長が始まった1970年代にジュンソプの残した作品群への評価が高まり、一枚の絵が最高35億ウォン(約3.2億円)の値がついた。現在では、美術館が建てられ、韓国の国民的画家と呼ばれている。

山本泰成 (やまもと やすなり)

1949年8月、現在の北朝鮮、江原道・元山市で生まれる。
1952年7月、母・方子、兄・泰賢とともに韓国から日本へ。以来、東京・世田谷の山本方子の実家で育つ。都立駒場高校卒業後、大手画材・額装販売会社で営業マンとして勤務の後、1988年独立。東京・世田谷で額装の制作・販売事業を営む。母・方子とともに亡き父・イ・ジュンソプ直筆の手紙をはじめとした貴重な資料等の整理、管理も行う。現在、母・方子と同居。真利子夫人との間に愛息、凌聖君(5歳)がいる。

金仁浩 (キム・インホ)

1927年、現在の北朝鮮、咸鏡北道清津市で生まれ江原道元山市で育つ。
第二次世界大戦後、元山師範学校の校務員だったとき、美術教諭として赴任してきたイ・ジュンソプと出会う。自らも画家を目指しており、ジュンソプや方子と親交を深めた。1950年12月、朝鮮戦争の戦火を避け、ジュンソプ一家とともに韓国の釜山に避難。いくつかの職を経て、種苗会社の広報・出版担当として長年勤務し、ジュンソプの死後も方子との交流を続けた。ソウル市在住。

白榮洙 (ペク・ヨンス)

1922年京畿道水原市生まれ。
2歳のときに父親を亡くし、母とともに大阪の親戚を頼って日本へ。大阪美術学校西洋画科在籍中、校長の矢野宅で書生を務めた。第二次世界大戦終了直前に韓国に戻り、女学校の美術教諭となる。朝鮮大学校美術科創設を手がけた。朝鮮戦争中、海軍従軍画家団に所属。1953年、イ・ジュンソプとともに「新写実派」に参加した。1977年、フランスに拠点を移した。2011年、帰国。現在、ソウル郊外のアトリエで制作を続けている。

田殷子 (チョン・ウンザ)

1956年生まれ。
済州大学校通訳大学院(韓日科)卒業。論文:「イ・ジュンソプの西帰浦時代研究」、「済州道孝悌文字図研究」、「済州人の日本渡航研究」。新聞連載(全面):<田殷子の済州海を渡った芸術家達>、<田殷子の芸術作品紀行>(済民日報)。2007年から西帰浦李仲燮美術館学芸員。2012年、山本方子がイ・ジュンソプのパレットを同美術館に寄贈した。現在、済州大学校耽羅文化硏究所特別研究員兼職。

STAFF


監督 酒井充子

1969年、山口県出身。
慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、北海道新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画、劇映画の制作、宣伝に関わる一方で台湾取材を開始する。小林茂監督のドキュメンタリー映画『わたしの季節』(04)に取材スタッフとして参加。台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』(09)に続き、2013年春に『空を拓く-建築家・郭茂林という男』、『台湾アイデンティティー』を完成させた。著書に「台湾人生」(2010年、文藝春秋)がある。

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